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TOP > スタッフの部屋 > 俺を信じてコレを買え Web版 第3回 『いろづきチンクルの恋のバルーントリップ』

俺を信じてコレを買え Web版

第1回 2001.12.31
古川日出夫
『アラビアの夜の種族』

第2回 2002.08.27
『ファイアーエムブレム
封印の剣』

第3回 2009.10.05
『いろづきチンクルの
恋のバルーントリップ』

第3回 『いろづきチンクルの恋のバルーントリップ』       文責:ベニー松山

 思い起こせば俺は、『オズの魔法使い』があまり好きではない子供だった。
 百年以上も愛され続ける児童文学であるし、ファンタジックな不思議の世界の旅が、当時小学校低学年の俺にとってつまらないハズがない、と思うのだが、どういうワケかドロシーの冒険は幼い俺の心を惹きつけなかった。映画やドラマなどの映像化作品も、夢中になって観るどころか、どんよりとした気分で眺めていた記憶がある。日本制作のテレビドラマ(3Dメガネをかけて視るパートがあった)に至っては、もっぱら裏番組の仮面ライダーにチャンネルを合わせていた。しかしトカゲライダーアマゾンが好きだったかと言うと、むしろ『オズ』からの逃避だったんじゃあないかと思う。
 何故だろうと、最近になって真剣に考えてみた。何が気に入らなかったのか? アメリカはカンザス州から竜巻にさらわれ、オズの国へと降り立った少女ドロシーに何の落ち度があると言うのか?
 結果、判明した俺の心理は、「普通の少女」が「頼りなさげなお供たち」と旅をしなければならないという構図がイヤ、ということであったらしい。現実世界から不思議の国に行きながら、極論すると彼女には何のアドバンテージもない。どちらかと言えば“損をしている”というネガティブな印象を幼少時の俺は抱き、そして万能を期待させた大魔法使いオズの本当の姿にも失望して、この物語に否を突きつけていたようなのだ。つまり俺はドロシーに桃太郎的な、ヒロイック無双な活躍を求めていた――要するに中二病的な心で『オズの魔法使い』を見ていた――と言うことが判った。そりゃあ噛み合うわきゃないわなあ……。

 さて、それでは『オズ』にオマージュを捧げた作品、今回のお題の『いろづきチンクル』はどうなのか?
 まず、主人公チンクルを襲う物語的な状況は、ドロシーのそれよりもはるかにシビアだ。本に吸い込まれた先の世界では、勇者や偉大な魔法使いに間違われるワケでもなく、周囲に翻弄されるがままにシティで開催される舞踏会へと送り出される。しかも、催しの正装とされる緑色の、ピッチリと身体を包む全身タイツを着せられて……ただでさえ不自由な容姿のチンクルは、このオプションにより妖精コスプレイヤーと言うより外宇宙からの来訪者、もっとストレートに表現すれば、誰も見たことがないほど不細工な変態中年男として完成してしまう。
 当然ながら、シティを目指す旅におけるチンクルの扱いは最悪のひと言に尽きる。道すがらに出会う女性のほとんどは、その異様な外見と、彼が醸し出す“異性と仲良くなりたいオーラ”に震え上がり、口さえ満足に利いてはくれない。老若を問わず――いや、それが犬だろうと、無機物だろうと性別が女性と設定されていればアウトである。顔を背け、吠えかかり、あるいは一目散に逃げ去ってしまう。アドベンチャーの基本中の基本、会話を成立させるというスタート地点に立つためには、まずラブプッシュと呼ばれるプレゼント攻勢をかけてターゲットの心証を良くしていかなくてはならないのだ。
 もうヒーローどころの騒ぎではない。異世界に降り立った途端に底辺呼ばわりされ、女性とコミュニケーションを取ることも容易でない主人公――『オズの魔法使い』の筋立てすら受け容れがたいこの俺にとっては、『いろづきチンクル』の設定とストーリーは好みから真逆のベクトルを持っているように思える……。

 ここでチンクルというキャラクターを再確認してみたい。
 もともとは『ゼルダの伝説』シリーズの脇役として、2000年に発売された『ムジュラの仮面』に初めて登場した人物だ。自ら変質者チックな装いを身にまとい、風船をくくりつけて空中浮遊する、妖精に憧れる35歳の独身男。当時、その強烈な個性を目の当たりにした俺は思わず独り言を発してツッコんだ。
「いねえ。さすがにこんなヤツはいねえ」
 何しろニートなんて言葉も、まだ日本では使われていない頃なのだ。チンクルはファンタジー世界においても、これ以上ないほどにとんがった怪人物として俺たちの前に現れた。
 しかしながら……。
 時代のほうが急速に、はるかな高みに(もしくは奈落の底に)いたチンクルに追いついてしまう。今現在すでに、35歳独身彼女なし、未来の展望もなく冴えない毎日を漫然と過ごす中年男という設定は、ストレートに笑えないところまできているように思う。チンクルは普通に、今の日本男性の写し絵のひとつとして、たっぷりと感情移入できるキャラクターになってしまっていたのだ。
 本作では、列車が通るたびに激しく揺れる、薄汚れたスラムのアパートの一室で暮らしているチンクル。ループするオープニングデモで、窓から何の希望もなく路地を見つめる彼の姿は、ある意味“死”をも想起させる。夢も、失うものもない、退屈に流れていく日々。そこで唐突に終わってしまっても、無念に思うことさえもない孤独な人生。誰か何とかしてあげて! と言うか俺が何とかしてやんないと! ゲーム始めてやんないと! と強制的に思わされる寂しい光景がプレイヤーを待っている。
 そんなチンクルが、不思議な本に吸い込まれて異世界に行く。もうこの時点で、チンクルにとってはプラスに転じているように感じる。ドロシーよりずっと過酷な状況に置かれているにもかかわらず、チンクルは“彼の現実世界”にいた時よりも生き生きして見える。彼の物語が、本当の人生が始まったのだと確信させられる。
 無力なまま異世界に放り出されたツイてないハズの彼が、途轍もない幸運に見舞われている気がした。八方塞がりの、絶望的な現実から切り離されるという奇跡に――。
 そしてチンクルを、俺は全力で応援したくなったのだ。

 そんな次第で、俺は『いろづきチンクル』にすっかり惚れ込んでしまった。『オズ』でもお馴染みの、いろいろ足りないところのある仲間(かかし、ブリキ、ライオン)たちと一緒にシティを目指す旅は、トラブル続きだけど最高だった。本当に本当に、チンクルがこの冒険に巻き込まれて良かった。あっちの世界に行っちまって良かった、んだけど。
 そうなんだけど。アイツには元の世界に戻りたい理由なんてないんだけど……。
 是非、プレイしてみて欲しい。チンクルと、ラストシーンの選択を、チンクルに成り代わって悩み抜いていただきたい。どうか、どうかアイツを幸せにしてやってくれ。

 願わくば俺たちのチンクルが、虹の彼方の国で生きる力を、妄想ではなく“夢”を得られんことを――。